明治、大正、昭和と
脚気は増え続けます。
脚気は、ビタミンB1の不足による
栄養障害です。
しかし、長い間原因がわからなかったため、
伝染病の一種とも考えられてきました

日清戦争-1894年(明治27年)、

日露戦争-1904年(明治37年)

日中戦争-1937年(昭和12年)などの戦争で、
食糧事情が悪化する中、
国内では、毎年1万人から2万人もの脚気死亡者が
出ました。
日露戦争では、ロシア兵が
脚気で下肢が麻痺した日本兵の様子を
「日本人は酒に酔っているようだ」
と表現したそうです。
農学者の鈴木梅太郎博士は明治43年(1910年)、
米ぬかから脚気に効く成分を抽出しました。
彼が「オリザニン」と名づけたこの栄養素こそ
ビタミンB1でした。
しかし、「米ぬかの効否」については意見が分かれ
「ぬかで脚気が治るなら、小便を飮んでも治る……」といった
心無い反対論が出されたりしました

。
研究が進み、
昭和50年代になって、やっとのことで脚気は完全に撲滅
病院で膝を叩かれる事もなくなりました。
ちなみに、鈴木梅太郎博士は、
現在の静岡県牧の原市出身でいらっしゃいます。