玄米にたくさん含まれていたビタミンB1も、精米が進むにつれ
どんどん少なくなります。(もったいない

)
8代将軍
徳川吉宗は、新田開発に力を注ぎ、
米将軍と称されました。
このころから、
武士だけでなく、
江戸の庶民も、あわやひえといった雑穀にかわって
真っ白くついたお米を食することが出来るようになっていきました。
真っ白いごはんを山盛り食べて、
おかずはほんの少し。
これが、
江戸っ子の心意気といわれました。
白米が江戸の人々の間で多く食されるようになっていった頃から
お侍さんや、江戸の庶民の間で
足のしびれや、倦怠感を訴える
病気が
増えていきました。
最悪の場合、命を奪われることも。
地方に住んで
まだ、雑穀をとっている場合が多かったお侍さんの中にも
参勤交代で江戸にくると、体調が悪くなり、
お勤めを終え、箱根の山を越えるころには
症状が緩和してくるということから、この原因不明の奇病は
「江戸わずらい」とよばれ、恐れられました。
ビタミンB1欠乏で起こるこの病気、
病名は
「脚気(かっけ)」でした。