脚気の歴史
脚気は、ビタミンB1の不足で麻痺などの神経症状を起こします。
脚気は明治になってさらに増加
海軍医の
高木兼寛は、
食事に原因があると考え、
兵食をパンや肉食中心の
洋食に変えることを提案しました。
そんな時、明治15年、10ヵ月の航海後帰国した
軍艦「龍驤」で、乗員
約380名中、
半数近い約180名に脚気が発生し、
約20名が死亡するという事件が起こりました。
高木は上層部を説得し、
明治17年、軍艦「筑波」では
「龍驤」と同じ航路でありながら
髙木の提案通り
洋食が採用され、帰国時には、乗員
約330名中、
脚気患者なしという成功を収めました。
海軍の脚気問題は解決されたようにみえましたが、
「兵隊さんには白いおまんま」
という当時の考え方はなかなか根強く
軍艦の寄港した港には数多くの
コッペパンが浮いていたそうです